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会長の思い出62

 2015-10-01
2000年代前半の5年間の危機的な状況については以前お話ししましたが、
2006年 私が50歳になった時、会長に大きな変化がありました。
「もう、お前には何も言わない。」と言われたのです。
が、この様な事は過去にも何度かあって、いつもその直後に覆していましたから、
私は「また言ってるわ。」と思ったのですが、この時以降本当に何も言われなくなって
しまったのです。
昨年から売り上げが伸び始め、赤字は出なくなっていたのですが、まだ黒字と言えるほど
利益も出ていませんでしたし、何より毎月の返済が3000万円くらいあり、資金繰りに
四苦八苦していましたから、この一番大変な時に何故? という感じはあったのですが、
「もうお前やったら乗り越えていけるわ。」と言われたような気がしました。
また、この状況だと放っておいても必死にやるだろう、と考えられたような気もします。
そして自分で乗り越えられれば本物になるだろうとも・・・。

しかし、私は毎日が何とかしなければという思いで必死でしたので、やっと認められたとか
考えている余裕は無かったのです。
翌年2007年に資金繰りに目途がつくようになって、やっと会長が何も言われなくなった
意味を感じるようになりました。
私自身、もう何があってもやっていけるという自信が芽生えていましたから、ようやく一人
前になれたような気がしました。

ただ、生きていけると思えるようになっただけで、今迄親爺に任せてもらえない半人前だと
思っていたわけですから、まだまだ三流の男だと考えていました。
けれども、私達家族のことをよく知っている方から、私に 「あんたが親爺を安心させるか
らあかんで。もうちょっと、心配させたほうがええで。」と言われたのです。
良い意味で言われたのかなあとも思いますが、親爺は、2008年10月にのどの奥に癌が
見つかり、2009年6月8日に亡くなりました。

2006年から2008年まで、内心会社の事は心配していたと思いますが、それを見せずに、
楽しく自分のやりたい事をやっていたように見えましたので、良かったような気もします。
最後に少しは親孝行ができたのかなぁ…

2009年になって終末治療に入ったのですが、最後は本当に竹村 明のまま本領を発揮して
亡くなった、という思い出です。

人は最後に生き様が表れるといいますが、父の最後の半年間はまさに
人間竹村 明の一生が詰まっていたように思います。

次回は、この事について書きます。
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