会長の思い出59
2015-07-01
1997年頃でしたか、(あまり実践では活動しなくなってしまいましたので、この頃からの会長の動きは記憶には少ししか残っていません。)
英会話よりも写真に凝るようになっていました。
小学生の頃、学校でやった青写真が心に強く残っているという事で、
若い頃から写真が好きでお客様の写真をよく撮っていました。
また、前に書きました、あんミックスや水ようかんミックスを作った時には、
包材の写真を自分で撮っていましたし、
レストランのメニューの写真を撮ったりして、チラシやパンフレットを作っていました。
しまいには、事務所の2階に写真撮影ができるスタジオを自分で設備して、
お客様を集めて撮影会をやって店全体が賑わうようにしていました。
若い頃、そんな風に写真に凝っていましたし、
「今までいろんな事をやったが、写真を撮ってる時が一番楽しい。」
と言って燃えていましたので、最後に追及する物が写真になったのでしょう。
また、本当に何をやっても、その集中力、精神力、バイタリティ、根性で
かなりのレベルまでいくのですが、英会話だけは手こずっていましたから、
さすがに嫌になったのか、継続はしていましたが、以前ほど身は入っていませんでした。
私の目をアメリカに向けさせるためにもやっていた面もありましたが、
アメリカ、カナダ、オーストラリアは儲からなければ調製品を止めてしまうという状況でしたので、
関心が薄れていったのでしょう。その分、写真に力が入ったようでした。
最初はその当時、得意先の会長にお誘いを受けて、
ロータリークラブに入会していましたので、
そちらの仲間や関係者の写真をよく撮っていましたが、
1998年、明石大橋開通の折に、
神戸グルメネットという会社を作って、食品ギフトの販売を始めたのですが、
最初の商品が「明石のながーい橋パイ」というもので、明石海峡大橋にちなんだギフトでした。
箱の上面に橋の絵を入れようという事になったのですが、
会長は写真の方が絶対に良いと言って明石の漁師さんと友達になって
その方の家に泊まりこんで写真を撮り続けました。
商品の箱の写真だけでなく、中に入れるしおりや
販売用パンフレットやポスターまで撮ってくれたのです。
そしていつものように何か仕事をする時は
ここまで徹底的に深く入り込んでやらんとあかんという事を
身を持って示してくれるのでした。
しかし、箱の写真は絵にしたり、
写真を撮るのにこんなに時間や経費をかけていいものかとか、
プロに頼む方がいいのではないでしょうかという事を意見してしまい、
逆鱗に触れてしまったのを思い出します。
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