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会長の思い出55

 2015-03-01
1990年10月3日にあったもう一つの出来事は、半年ほど出ていた弟が帰ってきた事です。
7年近くレストランの厨房で年中無休で朝早くから夜遅くまで働いていたのですが、
外の世界も見て経験したかったようです。

すると、社長は帰ってきた弟にレストランをやらせるのではなく、
大急の運送の仕事をやらせたのです。
私の代わりにトラックに乗るように言ったのでした。
私は5年近くトラックで半日、7~8時間トラックに乗っていたのですが、
一切トラックに乗らずとも、粉を担がなくてもよくなり、
販売に徹する事が出来るようになるのです。

社長は私に大進で粉の販売を、弟に大急で粉の運送をやらせて
協力し合い、両輪となって会社を伸ばしていくように願ったのでした。
そして、いつか来る自由化の波にも対応できるようにと考えていました。

しかし、誤算だったのは大急の仕事の9割が
大進以外のメーカーや問屋さんの仕事だった事です。
約8割がある大手製粉メーカーの仕事でしたから、
そこの仕事を中心に回っていました。
社長は大進の配送の仕事で大急が回るように
ならなければいけないと言っていましたが、
それを実現するには大進の販売量を関西だけで
10倍ぐらいにしなければなりません。
15年で販売量を6倍にしましたが、これは全国でやった事で、
関西だけだと2倍くらいにしかなりませんでした。

また、社長はよく「本当は運送会社はやりたくなかった。」と言っていましたから、
社長の方針だからやっていかなければいけないとは思っていましたが、
正直言って私も弟もモチベーションが上がらない部分はありました。
大急は40名くらいの運転手さんや配車係がいましたが、
人の問題が多く、大変な仕事でした。

弟は本当によくやっていました。
ですから、社長は私に「大急もお前がやらなければいけない」
と、よく言われていましたが、
一生懸命やっている弟が全部やっていく方がいいと考えていました。
なので、弟が社長になった時も、
社長が亡くなった後、大急を大手の運送会社に
売却しなければならないと弟が相談に来た時も、
弟の考えを喜んで受け入れたのです。
社長は亡くなる前に理解してくれたと思っています。
 
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