2代目駐在員 金 沢さん
2008-10-01
1989年6月、金 沢(キム・テック)さんが、ソウルから大阪へ、2代目駐在員としてやって来られました。まだ、日本語が上手く話せないと言うことで、3ヶ月くらいは辞書を片手に話しておられましたが、
すぐに日本語がぺらぺらになられました。
ソウル大学出身で、非常に優秀な方でしたが、お父さんが中小企業の経営者で、
その苦労をずっと見て来られた為、商売に対する厳しさや感覚を強く持っておられました。
まだ、年は29歳で、当時の私より4歳も年下でしたが、教えられることも多かったのでした。
その金さんが、
「調製品はまだまだ続くし、もし日本の制度が変わっても、
砂糖だけ、小麦粉だけという形で日本に行くようになるでしょう。
我が社は調製品を始めたばかりで、販売はこれからだから、
大進さん日本で売り広めてくれたら、大進を最後まで護り続けるでしょう。我が社はそういう会社です。
また、現在いろんな国の多くのメーカーから日本に調製品が来ているが、
最後に残るのは我が社だけでしょう。」
と言うことを理論的に何度も説明してくれました。
20年後の現在、この金 沢さんの言われた通りになっているのですが、
その当時、日本の小麦粉の販売は赤字が続いておりましたし、
得意先には他社からどんどん入って来るという状況でしたので、
私の心はだんだんと調製品の販売へと傾いて行ったのでした。
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