会長の思い出47
2014-07-01
1988年8月、韓国で小麦粉調製品を製造しているメーカーを探そうと思った時に思い浮かんだのが
バンブーゴルフショップ時代にバンブーのファンで、
2日に一度くらい遊びに来られていた方の事でした。
その方は韓国からふぐを輸入しておられて、
店に遊びに来られては、2~3時間、私といろいろな話をしたり
お客様をどんどん紹介してくれたりしていました。
この方だったらきっと相談に乗って下さると思い電話しますと
案の定、韓国の製粉会社の資料を山ほど持ってこられまして
第一製糖(現・CJ社)と東亜製粉の資料を引っ張り出して
「この2社のうちのどちらかにしたらええで。
第一製糖はトップメーカーだからしっかりしてるけど高いと思う。
東亜製粉は2流メーカーやけど価格は安いと思うで。
お前のところは輸入の商売は初めてやし、第一製糖の方がええと思うで。」
と言われたので、この方の言う通りにしたのですが、
後々これが大正解となるのでした。
また、この方は韓国の工場まで連れて行ってくれたのでした。
この事を社長に報告しますと喜んでくれ、一緒に行ってくれる事になったのですが、
社長はアメリカに憧れを持っていましたし、アメリカのファンでしたから、
韓国と取り組む事は乗り気ではなかったようです。
ですから、私が韓国製品の販売にのめり込んでいくと、
だんだん反対するようになるのですが、
まだこの時はやれるものであればやってみればいいという感じでした。
ソウルオリンピックが終わってすぐの10月にソウルに行ったのですが、
この時の事は以前、CJ(第一製糖)の紹介の時に述べました。
また、その後このビジネスが伸びて業績も良くなっていくのですが、
社長は「なんでカナダやアメリカの調製品にもっと力入れんのや、
その方が会社のイメージが良くなるやろ。」と怒るのですが、
第一製糖の製品の方が、圧倒的に売りやすいですし、売れるのでした。
そして、1989年度の売上が17億円と2倍近くに伸び、
社長も認めざるを得ない状況になっていくのでした。
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