会長の思い出42
2014-02-01
1987年1月4日当時、大進の初出は4日でして、まず初出式をしてから営業全員で新年の挨拶回りに出ます。
その頃は、大阪の大口のお客様も多かったので、2日がかりで20件くらい回りました。
初日は社長も一緒に行かれたのですが、総勢私も含めて6人でした。
今はお客様が減ってしまいましたので、今年などは半日で終わってしまいました。
まずメインの仕入先だった大手製粉メーカー2社と、中小メーカー2社、大手商社1社。
まだ売っていただいている、売らせていただいてるという感じが
色濃く残っている時代でしたので、必ず1番に挨拶に行ったのです。
その当時、大企業のオフィスでは新年の挨拶に来られるお客様のために
女性は着物を着て、つまみを並べてお酒を飲めるようにして迎えておられました。
凄く華やかな感じがしました。
そして、製パンメーカーさんが10社以上ありましたが今では3社になっていますし、
製麺会社さんは3社ありましたが今ではなくなっています。
こうしてみると、その当時大阪でお世話になっていた大口のお客様は
15社から3社に減ってしまったのです。なくなったのは全部廃業でした。
そのもっと前の、私が学生の頃は、喫茶店やレストランに
食パンや小物のパンを卸している業務用卸のメーカーさんが
たくさんあったのですが、激減してしまいました。
私が覚えているだけで20社はありましたが、
それが30年ほど経って5社くらいになっています。
また、一社大手パンメーカーさんも営業が苦しくなって
大手商社が立て直しに入ったのですが、10年くらいでなくなってしまいました。
中小のパン屋さん、リテールベーカリーもどんどん減ってゆき、
全大阪パン組合の組合さんも500社以上あったのですが、
現在は100社以下になっているそうです。
今年の新年の挨拶回りをしながら、
この30年の間に小麦粉食品業界は激変してしまったなあと
つくづく思ったのでした。
30年前に父が一生懸命作られたお客様がほとんどなくなってしまい、
父もいなくなってしまった今、我が社もずいぶん変わったものだと
感慨深く考えさせられるのでした。
また、これから30年、もっと大きく変化するだろうとも・・・。
そして、1月5日のお昼からは大阪小麦粉卸組合の新年会があり、
粉問屋と製粉メーカーが一堂に会しました。
1時間ほどで終わるのですが、ほとんどの出席者が麻雀屋へ直行しました。
社長(父)も若くから麻雀の付き合いをしていて、
当時、誘われて行かれていました。
その当時、徹麻も多く、時には2泊3日一睡もせずに
誰が一番体力があるか競ったりしていました。
そういう時はいつも社長が最後まで元気で勝つので
「あんたのお父さんは怪物や。」とか化物やと言われていました。
でも一番後悔していたのは麻雀で
「麻雀に足を引っ張られた、あんなにやってなかったらもっと伸びれた。」
と言われて、私も学生の時はお客様のお相手をしたりしていたのですが、
社会人になってからは「お前は麻雀やめろ、俺がやってやるから。」と言って
私は一切しなくなったのでした。
年始の事を思い出すと、いろいろな事が思い浮かんでくるのでした。
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