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会長の思い出39

 2013-11-01
1986年に入り、政府の小麦の払い下げ価格が引き下げられる事になりました。
内外価格差縮小のため、この年から15年間、毎年引き下げられる事になったのです。
つまり、9億円の売り上げが5億円になるという話です。

当然、小麦粉だけ売っていてはダメで、
油脂や砂糖や副材料に手を広げなければなりませんでした。
けれども、小麦の商売で培ってきた人脈をもとにアプローチしますと、
結構副材料も伸ばす事が出来て、
月間1500万円くらいの売上はつくれました。
しかし、製麺業者のお客様の廃業などから、全体の売上はそう増えず、
その年の売上は10億円に戻せたくらいで、利益が出る所までいきませんでした。

前の年の結婚披露宴で仲人をしていただいた日本製粉の棚橋常務様は
別の製粉会社から日粉に入って、実力で常務まで登られた方で、
社長(父)も大好きな人だったのですが、私も尊敬していた方で、本物の商売人でした。
その方が、正月の元旦は何してると、私に尋ねられまして、
その年の元旦だけ休みをもらっていましたので、
「年中無休ですが、元旦だけ休ませてもらってます。」と答えましたら、
「そんなんじゃダメだ。元旦から、大事なお客様はご自宅に挨拶に回らなければ。
そうでないと、本当にいい仕事はできないぞ。」と言われて、
それから5年間、私も実行したのですが、それくらい毎日得意先回りをしたり、
いろんなお付き合いをしても、経費がかかる割に儲かりませんでした。

パンや菓子、小麦粉や原材料の事は、メーカーやお客様から
いろいろ教えてもらってわかるようになっていたのですが、
業界の事や人の繋がりの事など、商売上の知識はまだあまり無く、
わからないことが多くて、取引き先の社長さんや偉い人と
1~2時間、1日3~4人お会いすると精神的にふらふらになっていました。

そんな中、その時は突然やってきます。
ある日の夜中、家で寝かけたと思っていたら、社長から電話がかかってきて
「トラックの運転手を3人辞めさせたから、明日からトラックに乗ってくれ。
朝5時に大阪工場に来てくれ。」と言うのです。
これは何かあったなと思い、朝4時半頃に行くと、
もう夏だというのにクーラーの壊れた4トントラックに
粉を積んで配達する事になったのでした。
社長は私に1番酷いトラックを与えたのでした。
それから5年間、私はトラックに乗る事になるのですが、
これがその始まりだったのです。

後からわかったのですが、社長が辞めさせた3人と言うのは、
悪の3人組と言われていた連中で、ヤクザ者でした。
運送会社の大急は、ピーク時は2トン平ボーデーから10トン車、
小麦粉のタンクローリーや原料の小麦を運ぶダンプカーなど50台くらいありましたが、
その当時でも40台くらいはあったと記憶しています。
その3人組は、その当時は歩合制でしたから、
他の者に圧力をかけて楽して稼げる仕事を独占していたのです。
社長がそこにメスを入れ、ケンカして辞めさせたのでした。
案の定、その連中が怒鳴り込んできて、
リーダー格の男は白のスーツに黒のシャツと、一見してヤクザ者の出で立ちでした。
社長に「なんでクビや!基準局にいったるぞ!金出さんかい!」
と言うような事を喚いていたと思いますが、
社長も全く怯まず、「何処でも好きな所へ行け!
お前らみたいなヤクザ者を相手にする奴居るか!」
と、相手以上の迫力で怒鳴りつけていました。
3人はしばらく吠えていましたが、話にならないと観念したのか帰ると、
その後は何もありませんでした。
社長はもめると何時もこんな感じでした。

その後、大急は良くなったのですが、私はトラックで配達しながら、
大進の営業をするという、忙しい状況になったのでした。
 
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