会長の思い出33
2013-05-01
1987年11月、突然父(社長)が「グロワール木村屋の一楽社長の娘を知ってるやろ。」と話し始めました。
「あそこの娘と一度会ってみたらどうや。向こうの親も了解してるから、
夜、仕事が終わってから家に行ってみたらどうや。」
グロワール木村屋さんでは、2~3ヶ月前にアメリカンクッキーミックスや
何種類かのプレミックスの使い方を実演して、
その娘さんと一緒に作ったのを今でも覚えています。
彼女とあまり話をした記憶はないのですが、
可愛い人だなあという印象はありました。
でも、当然私は付き合おうとかいう気持ちは全くなく、
そんな暇はないわという感じだったのですが、
バンブーの森川支配人が何度も勧めてくれて、
夜9時半頃、森川支配人が
「店はうちが閉めときまっさかい、一楽さんとこ行っとおみやす。」
と、京都弁で強くプッシュしてくるのでした。
そして、一度行ってみる事にしたのですが、
10時過ぎ一楽社長と奥さん、お婆さん、彼女がいました。
特に何か話しするでもなく、テレビを見たり、世間話をしたり、
1時間ぐらい過ごして帰ったように思います。
実は、私は8年以上テレビを見る時間も無かったわけですから、
世の中でどんな歌が流行っていたりとかわからない、
世情から隔絶されたような状態でしたので、
彼女とはあまり話をする事も無かったような気がします。
こんな事が週に2回ほど、約2ヶ月続く事になりました。
そして、その年の暮れを迎えたのです。
元旦に彼女と初詣に行く事になりました。
私は嬉しい事があるとお酒を飲みすぎてしまうクセがあるのですが、
嬉しさの度合いが大きいほど潰れてしまうくらいとことん飲んでしまいます。
それで何度か失敗したことがあり、人生で3度どえらい失敗をしたのですが、
その第一回目がこの時でした。
商売での大失敗も何度かしましたが、
父が毎日のようにいろいろ変わった話を投げかけてくれたおかげで
私生活ではあまり失敗する暇が無かったと思います。
嬉しいと飲みすぎてしまうクセは私の最大の欠点でした。
いまだかつて、嫌な事や苦しい事があっても
酒で憂さを晴らしたことは一度も無く、
逆になんとかその嫌な事、苦しい事から抜け出そうと
いろいろ考えたり、もがいたりすると
全くお酒が飲めなくなってしまうのでして、
河島英伍の歌のような酒は飲んだ事がありません。
1984年12月31日、夜9時に仕事から帰って紅白歌合戦を観ながらお酒を飲み始めると、
紅白歌合戦が終わる頃には勢い余って1升瓶を空けてしまっていました。
元旦の朝に迎えに行く事になっていましたので、
そのまま車を運転して行ってしまったのです。
その当時は飲酒運転はまだあまり厳しくない時代でしたが、
それだけ大量に飲んで運転するという事は流石に許されない事でした。
彼女の家に着くとお父さんが出てきて
「だいぶ酒飲んでるんやないか、大丈夫か。」と言われたのですが、
私は「大丈夫です、これから行ってきます。」と
彼女を連れて宝塚の清荒神へ向かってしまったのです。
途中、大渋滞に引っかかってしまい、
朝3時になっても全然動かない状態になってしまいました。
寝ていませんから、睡魔が襲ってくるわ、酔いは回るわで
筆舌に尽くしがたい問題を起こしてしまったのでした。
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