会長の思い出20
2012-04-01
1981年6月、大きな挫折感を持った私はそれまで気持ちで持っていた体力がガタガタ崩れていくようでした。
4年間全く休み無しで、毎日17~18時間働いていましたし、
食事もほとんど1日1食に近かったですから、
80㎏あった体重が59㎏まで落ちていました。
元々はラグビーや空手をやって筋肉隆々だったのですが
身長180㎝で59㎏ですからガリガリに細っていました。
すると、しょっちゅう胃が痛むようになり、
肩がパンパンに張り、頭痛がするようになって、
歯がズキズキと痛み出したのでした。
しばらく我慢していると奥歯が3本も抜けていきました。
そして挙句の果てにめまいがして、店の中で倒れてしまいました。
気づいた時には救急車で病院に運ばれて
点滴を打たれていました。
何時間経ったのかわかりませんが、
話が出来るようになって先生と話をしていると、
そんな生活をしていると死んでしまうぞと言われたのです。
食事、睡眠、休憩、運動の事をいろいろ注意されました。
するとそこへ、社長(父)から電話が入ったのです。
「いつまで寝とるんや、早よ帰って仕事せんか!」。
私は体調も良くなったので店へ戻りました。
その事を人に話すと「あんたのお父さんむちゃくちゃやなぁ。」
とよく言われるのですが、
こんな過労で倒れる私の方がブサイクで情けないと私は思いこんだのです。
社長は、もっと過酷な生活を送って乗り越えてきた事を知っていましたし、
これぐらいで倒れた私を不甲斐ないと思っているだろうなぁと思うと
余計情けなくなりました。
仕事で挫折した上に、自信を持っていた体力でも父について行けずに
ガタガタになってしまって、精神的にどん底になってしまいました。
そうそう、父は体が強く、自他共に鉄人とかスーパーマンとか認められる超人でした。
小麦粉(25㎏袋)を4袋も担いでいましたから、私も負けずに4袋担いでいました。
父は3日間寝なくても1日1食でも平気な人でした。
私は1日寝ないとしんどかったですし、1日1食だと4年で体が崩れてしまいました。
父は3日寝ずに仕事をするとその後20時間くらい寝たり、
1日1食だと1回に3食分くらい食べたりと、
寝溜め、食い溜めが出来る人だったのです。
それまで母の遺言通り、
父と同じようしなければいけないと思っていましたが、
私には同じようには出来ないし、
同じようには生きられないと感じるようになっていました。
それからは、病院の先生に言われたように、
まず体調を良くしようと考えました。
ニュージャパンサウナのアスレチックジムの会員になって
夜は仕事を10時までに終えて10時半にジムに行き
軽く食事をして30分程トレーニングをし、
ゆっくり風呂に入り12時には仮眠室で寝るようになりました。
毎日行っていると仕事に関係のない人と友達になって話をしたり
サウナで働いている人達が私の服を洗濯してくれたり
仮眠室もいつでも好きな時に寝られるようにしてくれたり
くつろげるようになって、だんだん体調が良くなっていきました。
社長も気になるのか、たまにサウナに様子を見に来るようになりました。
誰に対してもですが、社長は
人に厳しく当たって突き放すようですが、
放ったらかしにするのではなく
気にするようなところはありました。
とにかく、心身共に調子を取り戻し、再出発という事になりますが、
社長とはしっくりといかない部分も出始めるようになっていきました。
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