会長の思い出19
2012-03-01
1981年、ゴルフ用品の販売が上手くいき、20歳の時に考えた夢のビジネスをしたいという思いが湧いてきました。
20歳の頃、商人として「商道」を追求したいと考えた時に
いろいろなビジネス書を読みあさったのですが、
「これからの日本は成熟社会になっていくので、人々は健康に関心が高くなっていく。
だから健康をテーマにした、スポーツや健康食品の産業が伸びるであろう。」
という事が多く書かれていました。
私は幼い頃から学生時代を通じてずっとスポーツをしていましたし、大好きでしたので
近い将来スポーツ事業を起こそうと考えていました。
ゴルフビジネスを拡大していき、スポーツビジネス、そして健康ビジネスに結び付けていこうという
夢が広がっていきました。
社長(父)からはギフトに力を入れるように言われていたのですが、
ゴルフ用品の販売に力を入れ、他にもテニス用品(その当時、テニスもすごくブームでした。)
やトレーニング用品スポーツ飲料やスポーツフードなど品目を増やしていきました。
また、外に売りに行ってはいけないとも言われていたのですが、
ゴルフショップやスポーツ用品店に卸売も始めました。
時代の流れに乗った感じで販売が増えていきました。
ショップの売り上げも、4年前日商3万円でしたが70万円にまで増加したのです。
そのうち、ゴルフ・スポーツ関連品は40万円になっていました。
これで私の考えを社長は受け入れてくれるであろうと思っていたのですが、
私が「これからは健康産業、スポーツ産業が伸びると思うし、
実際、美津濃やアシックス、デサントなど多くの企業が急成長を始めている。
スポーツ業界に進出したい。」と進言しますと、
「スポーツ業界ってなんや。スポーツなんて遊びやろ。業界なんかあるんか。
それに若いくせに健康とか年よりくさい事言うな。」と、一喝されたのでした。
しかし、諦める事なく、とにかく数字で示して納得させるしかないと頑張り、
事あるごとに訴えかけていたのです。
私の25歳の誕生日(1981年5月28日)に夜10時くらいから
食事に行こうと社長から誘われました。
一緒に食事に行くのは店に入って4年以上になりますが初めてだったと思います。
珍しい事もあるものだと思いましたが、
誕生日なので祝ってくれるのかという事で森川さんと3人で食事しました。
社長が「店もよく売れているが、本当にお前が考えている事は上手くいくと思ってるんやな。」
というような事を話していたように記憶しております。
そこで私は「絶対に成功すると思う。現に、売上も伸びているし、
卸の方もカップ、トロフィーやコンペギフトが何軒ものショップに納品が決まって売れ出している。
そしてエキスパートクラブというオリジナルブランドを作って
ゴルフクラブやキャディーバッグ、小物、アクセサリーを売り出す準備をしている。
これを販売してくれるアシスタントプロやプロショップも決まっているので、
必死に頑張るから。」と進言したのです。
すると「もう何も言わんから思いっきりやってみい。」と社長が言ってくれたのです。
私は目の前がパアッと開けたように感じました。
「綿密に計画を練って報告します。」と言って店を出て
徹夜で計画案を作成して、翌朝、社長のところへ持って行ったのです。
しかし、社長は何事もなかったかのように事務所で大声で話しまくっていて、
私が「計画案を作ったので」と言っても何やそんなもんといったような感じで
話を聞いてくれませんでした。
その時のことはすごくショックで今もよく思い出せないのですが、
とにかく、私の考えはダメだという事に戻ってきてしまったのでした。
それから私は、3年間程スランプで何も考えられないような状態になってしまうのです。
社長はいつも「食物商売は商売の基本や。この商売はなくなる事がない。
口に入るものをやっておったら、まず間違いないんや。」と言っていましたし、
「ギフトに力入れなあかん。そして売りに行くんじゃなくて
買いに来てもらえるような会社にならなあかん。」とも言っておりましたので
私の考えはどうしても受け入れられなかったのだと思います。
その後10年経って、日本経済のバブルが弾けてからは、
スポーツ業界や健康産業が縮小されて苦境に立たされますから、
ある意味、社長の考えは当たっていたのかもしれません。
しかし、1981年当時の私は、社長の考えはなんとなくわかっても
自分の考えに、思いにとらわれていましたから、落胆はとても大きなものがあったのです。
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