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会長の思い出13

 2011-09-01
社長(父)は、ギフトショップで販売するものをいろいろと見つけて仕入れてきましたが
ある時岐阜の瀬戸物産地へ行って陶器を仕入れてきました。

4t車に満載でしたので相当な量でしたが、これがまたよく売れました。
湯飲みや皿、酒器など、思いつきの様ですが行く前にいろんな店を調べ、
窯元をいくつも回り、売れ筋などよく聞いて選んでいたようです。

また、誰とでも仲良くなる性格でしたから仕入先の人も親身になって教えてくれたようです。
だから何でも不思議とよく売れました。

社長は最初は何でも自分でやるけれども後は人に任せるというやり方をしていましたので、
瀬戸物の仕入れも私が電話でするようになるのですが、
ダンボールで数10箱一回に取るようになります。
たまに私がトラックで岐阜まで仕入れに行くようにもなりますが、
社長と同じように朝2時ごろ出て昼には帰ってくると言う感じでした。


またある時、店の駐車場にコンテナーが横付けされましたので、扉を開くと飛び上って驚きました。
中に動物の死体が山のように積まれていたのです。
よく見ると、鳥やたぬきや亀などの動物のはく製でした。
社長にこんなもんが入っていたと言うと、
「外国で買ってきたから売ってみい、
レストランや喫茶店で飾るのが流行っているからそういう所にDMを送れ。」
と言うのでした。
これがまた売れたのです。
社長の仕入れた分だけでは足りずに東大阪のはく製のメーカーを見つけて品揃えしたのです。

虎に金鶏やワシなどよく売れたのですが、店が恐ろしい雰囲気になってしまい、
子供や女性が入って来なくなってしまいましたので、これはだんだん止めてゆきました。


そしてまた、20フィートコンテナーが突然入ってきて、
開けると中には籐の家具がいっぱい入っていました。
社長はいつも何の相談も連絡も無しにやって、後は早く売れと言うだけで
どんどん商品を店に放り込んでハッパをかけるという感じでした。
この籐家具もブームになってよく売れました。
これも本町の輸入商社を見つけてきたのですが、4tトラックで積み込んでバンバン仕入れました。
この籐家具は、商社や企業、そしてスーパーから出張販売の依頼が入り、トラックに積んで
即売会を開いて売り回りました。

その他、美術工芸品を扱ったり、100均屋やいろんな事をしました。


ギフトショップを始めて3年が経ち、1日3万しか売れなかった店が30万になっていました。
月商1000万円になっていました。
その間に母が亡くなり、しばらく変だった社長は何か燃えれるものを見つけるため、
製麺工場を創りました。
隣に借りていた250坪の倉庫を改造して、その当時4000万円の製麺機を入れ、
総額7000万円を掛けて工場を建設しました。

そして、焼きそば用の蒸し麺を製造して、これを売るように指示されました。
朝6時から10時くらいまで、中小スーパーに軒並み売り込んで納入するようになりましたが、
そんなデカいラインを稼動させるに至らず、半年で止めてしまいました。
機械も300万円で売却し、金庫に入れておいた所、警備保障にも入っていたのですが、
泥棒に入られ取られてしまい、何も残らないという惨憺たる結果に終わってしまったのでした。

感情に任せて商売をやってはいけないという事を身を持って体験しました。


ギフトショップの方は、ゴルフコンペの賞品を買いに来るお客様が急に増えだしていました。
そして、ゴルフ用品を取り扱うようになり、これがまた当たるのですが、
思わぬ展開に流れて行く事になります。
 
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