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会長の思い出11

 2011-07-01
1976年、自分の人生を商売に賭ける事になったのですが、
それまでは商売人になるつもりはありませんでした。
10代の後半は自分の人生を賭けられるものを探し求めていました。

10代前半は平凡な少年でしたが、
16歳の時、苦労を知らないボンボンは、
自分が何のために生きているのかわからなくなり、
学校をサボってはブラブラして空を眺めていたりしていたのですが、
ラグビー部と家業の手伝いだけは熱心にしていました。

人は生きるために生きるのだという事がわかったのはずいぶん後の事で、
だんだんと自分が熱く燃えられるものを探すようになります。

まず、熱くなったのがラグビーで、
高校一年の時からレギュラーになったので将来はラガーマンになろうと考えたり、
友達が楽器をやっていたので、バンドをつくってミュージシャンになろうと思ったり、
小説家志望の子と生活を共にするようになったので、自分も小説家を目指したり、
家が雀荘をやっていて手伝ったりしたので、メンバーに入ったりして雀士を目指したり、
絵描き、空手家、パチプロにいたるまで、
自分の可能性を求めて、いろんなことに挑戦しました。

熱中して、集中してやりますので、すぐある程度の所まで行くのですが、
壁にぶち当たりますし、何かしっくりこなければ次の対象物に変わっていました。
ですから、長くて1年、だいたい半年位で目指すものは変わっていきました。
人生をなめていたとしか言いようがありませんでした。
そんな事で何かが極められるはずはないわけですから。

しかし、その時の私にとっては、生きる目標、
生きるすべを必死に探している感じでしたから、
父は私が15歳の時から、早く働けとは言いましたけれども
父も母も、私が一生懸命自分なりにやっているのだからと、
容認してくれているといった状況でした。
B型的な熱し易くさめ易いという性格もあったのかもわかりません。
そういう中で、19歳の時にやった商売が自分には一番しっくりときたのでした。

父も家出をしてから仕事を幾つも変わっている時に、
(やはり、15歳くらいの時に)自分は何のために生きているのだろうと
疑問を持ち、答えを見つけるために哲学書を読みあさったけれども、
答えを見つけられなくて、やがて商売に目覚めていったと言っていました。
父は、私のやっている事と自分の少年期を重ね合わせて見ていたのかもしれません。
そういう意味では父と私は似た所もあったように思います。
何かに興味を持つと一心不乱に熱中して追及するという部分は似ていて、
私のそういう所を、父は好きなようでした。
そうでないと人生は面白くないという考えを持っていました。

とにかく、20歳の時に商売一筋に生きていこうと決心したのですが、
ショップの方ではあまりお客様もないですし、
売れませんから何とかしなければなりません。
しかし、レストランの方で宴会に力を入れた結果、
夜、食事をしたり宴会をしたお客様がショップに流れてきて
土産を買ってくれるようになってきたのです。
私はそこに目をつけたのでした。

父(社長)に
「ギフトに力を入れようと思う。スーパーマーケットのような事をやっていても
回りにファミリーも少ないし、近くを歩いている人も少ないので圧倒的に客数が少ない。
しかし、ギフトを買う人は、1個1000円から3000円のものを
何個かまとめて買ってくれるし、宴会をやった人が企業の人ならば、
進物や中元、歳暮などで大量に買ってくれるので少ない客数で売上をあげられる。
だからギフトに特化して本格的なギフト専門店にしたい。」
と進言したのでした。

父には反対される事が多かったのですが、
何が上手くはまったのか、その時だけはすんなりと賛成してくれたのでした。
 
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