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母の思い出2

 2011-06-01
母の事は前回1回だけで終わるつもりでしたが、
1度書いたらいろいろと思い出されましたので、もう1度書いてみようと思います。
それだけ母の存在は私と父にとって大きかったものですから。

まず母がなくなってから、父は約30年間生きたのですが、絶対に再婚しませんでした。
母が亡くなって父は明らかにひどく落ち込んでいましたので
(それを見せようとはしませんでしたので、逆に人前では明るく振舞っていましたが)
いろんな方が父に女の人を紹介して下さいました。
中には得意先の社長や、業界の偉い方からの紹介もあって、無碍に断れないので
紹介者と一緒に食事をしたりゴルフをしたりはしたようですが、即座に断っていました。

父は幼い頃、継母にすごくいじめられましたから、
子供達にはそういう思いはさせたくないと、私が小さい時から言っていました。
私も、いろんな人から「お父さんに再婚を勧めてあげた方がいいで。」と、
言われる事がありましたが、絶対に意思は曲げないのはわかっていました。
それよりも、父は本当に母を愛していました。
変人だと思われるでしょうが、父は母の墓を作らずに遺骨の入った骨壷を
ずっと枕元に置いていたのですから。

父は自分の信念があれば世間の常識やモラルを受け入れない所がありました。
「墓をつくってやらなければ成仏できないやないか。」と言われても、
「そんな所に入れてやったら寂しがってかわいそうや。俺の近くにいる方が喜ぶんや。」
と言って聞き入れようとはしませんでした。

30年後、私の前では絶対に弱音を吐かない父が、
亡くなる前に「美智子、何で先に死んだんや。」と言って、
何度もその事を言う時だけは泣きながら嗚咽していました。
それ程、父にとって母は大事な人であり、一緒に商売をやり、苦楽を共にし、
人生を支え合ったのでした。

父が亡くなってから墓をつくりましたが、納骨する時にお坊さんに
「父と母の骨を一緒にしてもいいですか。」と尋ねますと、
宜しいですよと言われましたのでその様にしました。
きっと二人とも喜んでいると思います。

前にも書きました様に、
私は母にレストランとショップの方でいろいろ教えてもらいました。
私が大学2回生になった頃に母が体調を悪くしましたし、
また、家の商売をやっていきたいと思っていましたので、
「もう大学辞めて仕事するわ。」と母に言いましたら、答えはわかっていたのですが、
「お父ちゃん喜ぶわ。」と言ってくれました。
大学を続けようと思えばもちろん続けられたのかもしれませんが、
私は父と似た所があり、何かをやりたい、やろうと思うと
他の事を考えられなくなるのでした。

それから、1年半後に亡くなる迄、
母は私にいろいろと教えてくれましたが、1番よく言っていたのは
「お父ちゃんのやる通り真似してやったら間違いないわ。」と言う事でした。
しかし、それを守り通す事は出来なかったのですが…。
父と同じようにしようと思うと精神的にも体力的にも耐えられない所がありましたし、
考え方にも違うものがだんだんと出てきましたので。

でも、母は父の事を信じきったまま亡くなっていく事が出来て
幸せだったなあと思いました。
 
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