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母の思い出

 2011-05-01
私が幼い時は父はすごく優しい人で、母は怖い人でした。
父が怒る事はほとんど無かったですが、
やんちゃだった私は母からこっぴどく怒られたり、時には叩かれたりもしました。

1番怒られたのは、まだ幼かった弟を真冬の寒い時に
薄着にもかかわらず外へ連れて行き、引っ張りまわして遅くに家へ帰った時でした。
帰るなり、「弟が風邪引いたらどないするねんや!」
と叩かれ床に何度も頭を叩きつけられたのです。
その時は、私もまだ9歳くらいでしたから、死ぬかと思いました。
しかし、本当に悪い事をしたと思い、
また、心配をかけた母にすまないと思ったのでした。
厳しく、真っ直ぐな性格の人でした。

父はよく、「読み、書き、そろばんができたから結婚したんや。」と言っていましたが、
母は達筆で計算が早かったですから、父もずいぶん助かっただろうと思います。
私が7歳の時までは、会社と家が一緒でしたから母は両方切り盛りしていましたが、
家が甲子園に移り、会社とは離れてしまったので私は鍵っ子になってしまいます。

また、15歳になり、レストランを手伝うようになった時には
母はレストランの責任者をやっていました。
ガラの悪い地域でしたが、母は一目置かれる存在でした。
店の人たちも母の前ではピリピリしていました。
ガラの悪いお客さんも母の前では大人しくなるかんじでした。
その様な母を頼もしくも誇りに思っていました。

母の話だと父の若い頃は大人しくてほとんど怒らない人だったようです。
母が「もう少し怒ったらどうなの。」言っていたぐらいだそうです。
確かに、私が小さい頃の父は、面白い人で、
人を笑わせるのが好きな人だったと思います。
しかし、昭和40年代に入って事業を拡大して
運送会社やレストランなどいろいろするようになって怒りっぽくなったようです。
だから5歳年上の姉さん女房の母の方が踏ん張っていたのかもしれません。

私が20歳の頃、母と一緒に本町の現金問屋に仕入れによく行きました。
そこは衣料品や雑貨、食品、ギフトなど、いろんな物があり、
百貨店のような問屋で大きな店でした。
まず8階へエレベーターで上がり、1階ずつ商品を選んで降りてくるのですが、
いつも「歩いてはダメ、走りなさい。」と言うのです。
その当時母は50歳を過ぎていましたが、商品を注文する時意外は走り続けていました。
下の階へ行くのも階段を走って降りていました。
仕事をしている時はいつも真剣勝負だったのです。
多分、母は私に仕事に取り組む姿勢を教えようとしていたんではないかなと思います。

しかしそれからすぐに母は病に倒れたのです。
入院し、手術をして無事退院できたのですが、
またすぐに入院して、そのまま亡くなってしまったのです。
まだまだ母に教えてほしいことは沢山あったのですが…。
父も、私には何も言わなかったのですが、
それから1年くらいは明らかにおかしい状態でした。

次回からまた父の話をします。
 
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