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会長の思い出6

 2010-12-01
昭和39年、トラックの台数が増えたので広い場所を求めて、
また、将来の都市開発の青写真を見て、
阪神間の重要なポイントとなる西淀川区の大野に引っ越したのでした。
運送の仕事も増えたのですが、トラブルも増えたのです。

大急の大型トラックのドライバーが名古屋からの帰りに
トラックのブレーキが効かなくなり運転できなくなったと言うので、父が飛んで行き、
荷物を積んだままノーブレーキでエンジンブレーキとサイドブレーキを使いながら帰ってきたのです。
嵐が来て山陰に行っているドライバーが「崖崩れの恐れがあって危ないのでよう走らない」と言うので、
父が変わりに運転していき、やはり途中で崖が崩れていて、一歩間違ったら崖から落ちるような
狭い道をなんとか通り抜けて荷物を届けたりと、誰もできないことは全部父がしていたそうです。

こんな事をしていたせいか、父は運転が得意で、また好きでしたのでいろんな免許証を持っていました。
国際免許も取り、台湾やアメリカでも運転したようです。
10年前、初めてソウルで横に乗せてもらいました。
ソウルでの運転は初めてにもかかわらず、荒っぽい運転者が多いことが有名で、
ルールも日本と反対の道路をスイスイ走っていました。
また、父はいつも睡眠不足でしたので居眠り運転も多かったのですが、
寝ながら運転しても全く事故はしなかった位、車と体が一体化していたようでした。

昔は運転手の運転事故も多かったようで、保険会社が示談する事もなかったので、
父は事故があると走り回っていました。
やくざ数人が怒鳴り込んできて父が吊るし上げられているのを目撃した事もありました。
トラックの台数もピーク時には大・中・小とタンクローリー、
合わせて約50台になっていましたから、運転手や助手も沢山いたのですが、
ほとんどの人が30歳代の父を親爺と言って慕っていました。

しかし、中には気の荒い人もいて、いつもドスを持っていて、
朝中々起きてこないので、枕を蹴飛ばしてドスを取り上げたら土下座して謝ったそうです。
また、今から40年程前に運転手が近所の韓国の若い人とケンカして刺し殺してしまう事件がありました。
父はお葬式の前の日に、「人殺しの社長が葬式に来れるか!」などの罵声を浴びせられたようです。
そこで父は「2時間後に帰らなかったら警察を呼んでくれ。」と言ってお葬式に行ったそうです。
行くと、韓国の人がたくさん集まっていて、人殺しの社長なんか中に入れないぞ、と
たくさんの罵声を浴びせられたのですが、
会社の近くで父の事をよく知っている人達数人が「その人はすごくいい人だから」と言って
助けてくれ、道を開けてくれたそうで、その隙にお参りをしてなんとか切り抜けたそうです。

そのような事をずっと見たり聞いたりしていたので、運送業は大変だなぁと思っていたのですが、
今から24年前に突然父から電話がかかってきて、
「悪い運転手を3人辞めさせたから今すぐトラックに乗ってくれ。」
と言われて、5年間、毎朝5時からトラックで配達しながら
大進の仕事もやらなければいけなくなってしまいました。
なので、運送業はやっていこうと言う気持ちにはなれませんでした。

その後、弟が運送会社を継いでくれる事になったので、
ようやく大進の仕事に集中できるようになったのですが、弟は大変な思いをしたようです。
今は弟がだいぶ改善してくれたようですが。

西淀川区大野では運送業以外にドライブインレストランをしていました。
これが私にとって何とも大変な経験になりましたので、次回はその事について書いてみたいと思います。
 
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