会長の思い出4
2010-10-01
天神橋で菓子販売を始めた父でしたが、昭和21年の終戦後間もない頃ですから、なかなか商品を集められず、
奈良や京都の亀岡まで自転車でリヤカーを引いて出向いたようです。
距離にすると30~40キロですから想像を絶する重労働だったと思います。
そうやって生計を立てていた頃、その仕入先の菓子メーカーや業者から
菓子の原材料を集めてきてくれと頼まれるようになったようです。
そこで、色々な所から小麦粉や砂糖を売ってもらい、
それをまた自転車で届けて売ったのです。
どこから集めたのかはあまり聞いた事はなかったのですが、
問屋やパン屋さん、菓子屋さんから買って、
またパン屋さん、菓子屋さんに売っていたようです。
とにかく、物を見つけてくれば売れたと言っていました。
そうして、昭和22年2月に製菓製パン原材料を取り扱う「大進商会」を創業したのです。
その頃には阪神間の有名なお店と軒並み取引きするようになり、
配達の人も何人か雇い、小型の三輪トラックで配達するようになっていたのでした。
また営業で出回る時はできるだけ目立つように
ハーレーの7500ccの単車に乗ってお客様のところまで行ったので、
行くと店の人や工場の職人さんが出てきて人気者になりました。
父はずっと「商売は目立たなあかん」と言ってその事に意識を強く持っていました。
もっと目立つところで商売をしなければいけないと言う事で、
昭和27年に心斎橋に店を移したのでした。
1階が倉庫で2階が事務所という40坪位の小さな店で、昭和31年に私はそこで生まれました。
昭和35年迄ここで商売をやっていたのですが、
この時期に1番お客様が出来ましたので、父は「商売は場所や」と、ずっと言っていました。
心斎橋は私が4歳の頃までいましたので少しは記憶に残っています。
これから私の知っている会長の事、父のことを書いていきたいと思います。
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