三養社製品拡販に依るCJ社との摩擦問題
2009-06-01
1994年、輸入も、事務的なことも、また経理も、私の妻がやってくれるようになり、配達も弟の方でやってくれるようになっていましたので、販売の方に集中できるようになっていました。
販売量も順調に伸び、CJ社の調製品は毎月20フィートコンテナーで50本以上、
三養社の調製品は20本ぐらいになっていました。
が、しかし、その当時のCJ社の海外事業部のトップの事業部長の方から、
三養社のものを全部止めてほしいという話が入ってきました。
私は、今止めてしまうと三養社ともめて商売上大きな痛手をこうむるのではないか、
2社購買しておいた方がいいのではないか、と考えましたので、
大阪の金沢(キム・テック)所長に現状を継続できるように頼んだのですが、
事業部長の決心が固くダメだといわれました。
そこで、ソウル本社へ行って事業部長と会談することになったのです。
こちらの方も真剣であるということを示すため、妻と二人で行きました。
ソウルのCJ本社の隣のヒルトンホテルのレストランで午後6時から会談が始まったのですが、
両者平行線で4時間が経ち、10時が近づいていました。
その間、料理を目の前にしながら1度も箸をつけずでした。
CJ社から3名出席されていましたが、全員そういう状況でした。
私は事業部長とCJ社が大進を特に大事に考えてくれている事を感じたので、
CJ社の考えに沿って三養社と話し合いをするということを事を提案しました。
会談は終了し、事業部長は料理を新しいものに取り替えさせ、会食に移ったのでした。
他の商社は沢山のメーカーの商品を扱っているので、大進だけは安心して付き合いたかったのだろう
と思います。
三養社の商品を欲しがっておられるお客様に対してどうするか、
お客様中心主義の私にとって大きな悩み苦しみになったのでした。
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