CJとの取引の歴史
1988年10月に初めて韓国へ行き、
ソウルのCJの製粉工場を訪問した時に聞いた大阪事務所に、翌11月に伺いました。
江坂にある倉庫内に事務所があるという事で行ったのですが、その住所に見当たりません。
探しているうちに日が暮れ暗くなってきましたので、車を停めて歩いて探し回りました。
すると、そんなに大きくない倉庫のシャッターの横に、
小さな第一製糖大阪事務所という看板を見つけたのでした。
シャッターが少し上がって空いていましたので、覗いてみました。
中は真っ暗でしたが、段ボールボックスが大量に積み上げられており、奥に人影が見えました。
「第一製糖の事務所ですか」と大きな声で尋ねると「そうです」と返ってきました。
そして、電気がつき奥の小さな部屋に通されました。
この方が金 正冠(キム ジョンガン)事務所長でした。
所長といっても、大阪事務所はこの方一人だけでした。
この方が、大進の初代担当者になる人でした。
私は、ソウルでの工場の話をし、小麦粉調製品を売ってもらいたい旨、
また どのように売っていくかを説明しました。
金所長は「いくらで欲しいのですか」と即聞いてこられましたので、
希望価格を少し安めに言ったつもりでしたが、
「いいですよ」とニコっと笑みを浮かべて軽く応えられました。
私はもっと安くなるのかなと思いましたので、
「量を売ったらまたもう少し安くしてほしい」とも念のために言いましたら、
それにも金所長は「いいですよ」と。
「それよりも、この積み上げられた段ボールは、第一製糖の焼き肉のタレで、
ソウルオリンピックまでは飛ぶように売れたのですが、
オリンピックが終わってからは全然売れなくなりました。
いくらでもいいから売ってくれませんか」と頼まれました。
私はディスカウントショップをやっていた経験から、そういうものを捌くルートを知っていました。
非常に安価でしたが全部捌いてあげたのです。
つまり、CJの製品で一番最初に販売したのは焼き肉のタレでした。
金所長はすごく感謝してくれました。
そして、小麦粉調製品の販売に入っていったのです。