CJとの取引の歴史
2018-10-01
最近毎月紹介しているCJですが、今から30年前の1988年10月から始まりました。
1988年のソウルオリンピックが終わったすぐにソウルに飛び、
CJの永登甫(よんどんぽ)工場に訪問したのがCJとの最初の出会いでした。
この当時CJは第一製糖と言いました。このことは前に何度か紹介していますので、
詳細については省略しますが、CJが小麦粉調製品の製造を始めたばかりでしたから、
ぜひ力を入れて欲しいというラブコールがありました。
この時お会いした池ち工場長は、価格とか取引については大阪に事務所があり、
そこに金きむ 正冠じょんがんという所長がいるのでその人と話してほしいという事でした。
また小麦粉調製品のミックス工場は釜山ぷさんに有るという事で、
ソウルから釜山に行く時間がなかったので、
この時は工場見学もせずに帰ることになりました。
そして大阪に帰り、大阪事務所の金所長に連絡をし、11月に訪問することになったのです。
第一製糖は当時三星グループで(1994年分離される)、
製糖と製粉ができる唯一の会社でした。
そして、製糖も製粉も韓国の業界No.1でしたので、この会社は頼れると、
意を強くしたものでした。
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