日本製粉様について2
日本製粉のことについて書けない事が多いので止めることにします。
しかし、私が28才の時に大進に入って小麦粉の販売を始めた時に、日本製粉の小麦粉の取り扱い量が一番多く、月間2万袋(1袋=25kg)有ったのですが、10年程の間に20分の一の1000袋程に減ってしまった経緯については少し触れておかなければならないと思います。
そして、2010年代に入り、日本製粉のある方が日本製粉を好きになるようにしてくれまして、また10倍の1万袋くらい迄増やせた理由についても書きたいと考えております。
私が大進に入ってすぐ、重要なお客様のところで日粉の方の粗相があって取引が止まってしまいました。日粉のある方が、そのお客様が気に入らないというので、そのお客様の得意先を3件も、競合他社に振り替えてしまったのです。
私はそのお客様のところへ何度も謝りに行きましたが、カンカンに怒っておられ、得意先を何件も飛ばされたのだから、それ以上の良い得意先を持って来なければダメだと言われました。結局それが出来ずに(約30年後に実現するのですが)、取引は終わってしまいました。
それから2~3年後にもっとすごいことが起こりまして、また最大のお客様が飛びそうになります。今度はお客様と日本製粉のバッティング問題でした。
お客様が製造していた製品を日本製粉が製造を始めて、またお客様の得意先を何軒も取ってしまったのです。それでも、そのお客様は日本製粉を切らずに協力関係を提案されて1年間待たれました。しかし、何の協力もせず、高飛車で横柄な態度をとり続けたので、堪忍袋の緒を切られ、日本製粉を止めて他のメーカーに切り替える決断をされました。
その時我社も飛びそうになったのですが、そのお客様のトップの方が、大進は悪くないし、よく頑張ったという事で、他のメーカーのものを我社から取っていただけるようにしてくださいました。その決定を聞いたときは、涙が止まらなかったことを 今でも忘れられません。
なのに、その時の日本製粉の担当課長は、そんな事になったのは私のせいだみたいに言うのでした。これが決定的になり、私の心は離れていったのでした。
続く