日本製粉様について
今回は弊社の歴史の中で、いろんな意味で最も関係の深い製粉会社である日本製粉様(以下敬称略)について書いてみたくなりました。
今は日本製粉のファンでもありますが、昔はそうではありませんでした。何故半世紀の間にそのような変化があったのか、昔の悪い事を話すのは欠席裁判になったり、憂さ晴らしになったりする可能性があるかもしれませんので、簡単にしたいと思いますが、過去にそうだったのが何故そんな風に変わったのか、いろいろの思いを書かなければある程度正確に伝わらないと思いますので、話せる範囲で書いてみたいと考えます。
父が小麦粉卸商を営んでおり、私が物心ついた小学生の頃にさかのぼります。小さい頃 家と会社は同じ所で、小麦粉の倉庫で遊び、小麦粉を配達する運転手さんに遊んでもらっていましたから、父の仕事が小麦粉を扱う仕事だとは感じていました。
小学生の高学年くらいになると、父の取引先で一番大事な会社は日本製粉だと感じるようになっていました。日本製粉の方がよく会社に来られていましたし、付き合いもよくしていたようですから、何となくそう理解していました。
その後、トラックが30台ほどありましたが、日本製粉の大阪工場の運送を請け負っていることを知りましたので、かなり深い関係なんだろう、そして、父は日本製粉が大好きなんだろうと思い込んでいました。
しかし、高校生の時に、そうではなかったんだという事件が起こったのです。
(次月に続く)