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会長の思い出65

 2015-12-29
父に「フーテンの寅さんに似ている」と言って、えらく怒られた事がありました。

もちろん父は いくつもの会社を作り、百数十人の社員を雇用し、
世にいくつもの発明品を送り出したのだから、
やった事の重要性やスケールは全然違うと思いますが、
寅さんに似たものがあると今でも感じています。

むちゃくちゃな事をやって、皆をまとめ 良い感じにするとか、
人情が厚く 弱い者を助け 強い者には戦いを挑み、
自分が正しいと思う事は絶対に守り、
間違っていると思うと徹底的に怒るところなど精神構造的には
本当によく似ていたと思っています。

しかも、フーテンの寅さんのドラマのように、
私も弟も好い感じの仲の良い家族になっています。

前にも言いましたように、生涯を通じて父と接する事が一番しんどかったのですが、
間違いなく私は父に影響を受けて人間形成されたと考えています。
いやな所、嫌いな所もたくさんあって、
反面教師になった部分もたくさんあったと思いますが、
父は自分と違う所を形成させるために、
敢えて私がイヤだ 嫌いだと思うようなことをやり続けたと申しますか、
演じ続けたようにも思えるのです。

よく他人からも言われていましたが、息子の私にもとらえどころのない人でした。
けれども、途中経過なしに結果だけ見ますと、何だか思い出深い
すごく良い人生を歩ませていただいたように感じております。
私は妻にも子供達にもこの様な接し方はできません。
また、父も自分のような接し方はしてほしくないでしょう。

しかし、父なりに家族や子供に注いだ愛情は、私の想像も及ばない程 
深いものがあったように年月を経る毎に思えてなりません。
だだ感謝のみであります。

お父ちゃん、会長 本当に有難うございました。

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会長の思い出64

 2015-12-01
父が亡くなって6年半が経ち、毎月思い出を綴り続けましたが、
私には強烈な印象が今も色濃く残っています。
このブログを読んで下さっている方が、
私が会長には絶対服従だったんだなと言われたのですが、
私にはそんな感覚はあまりありませんでした。
その方は、私が素直でお父さんを敬い、今時珍しいという意味で言われたようなのですが。

私は、20才の時商売が好きになり、父に色々教えてもらうのが一番良いと考え、
父の下で仕事をするようになったのですが、想像以上に父は厳しかったのです。
どんな人と接するよりも苦しくしんどい存在でした。

しかし、自分が決めた事ですから、逃げては自分自身を裏切ることになるし、
父を黙らせるくらいの商売をするしかないと思い続けました。
私が父も何も言えないくらいの商売をして認めさせるしかない、
との一心だけでやり続けたような気がします。

しかし、一度だけ父にキレた事と、一度だけ家出を考えたことがありました。
ある時、会長(父)が、朝礼で社員に「これからはボーナスは出さない」と突然言い出し、
若手社員がそれが原因で辞めてしまった時期がありました。
社長の私に何の相談もなく、この様な勝手な発言をするので、
腹に据えかねておりました。
そんなある日、私は朝から忙しくしていたのですが、
急に私と妻に一緒についてくるように言われ、
私が運転して、助手席には妻を、後部座席に父を乗せて出かけることになりました。
他に仕事があるのに突然呼び出され、
私が(イライラしながら)運転している間、ずっと怒鳴っているのです。
「もうボーナスを払うような時代ではない」というようなことを、
延々言っていたような記憶があります。

人が腹を立てるような状況を作って、緊張感を持たすようなことは
日常茶飯事で、馴れていた面もあったのですが、
この時ばかりはキレてしまい、「いい加減にしてくれ!」と言って、
後ろの父に手をあげようとしたのです。
すると父は、「殴れ、殴れ、殴ってみい」と怒鳴りだしたのですが、
その顔は、目が飛び出しそうなくらい見開いて、燃えているようでした。
私はすぐ我に返って、父は私を乗せようとしている、
また父はこの状況を楽しんでいるとも感じたのでした。
私はみるみる冷めていって、冷静になりました。
妻が早く車を動かしてと言いますので、
気がつくと交差点の真ん中で止まっていました。

翌日、父は朝礼でこの事を取り上げ、「社長に殴られた」と激しく怒り、
弟が止めに入った記憶がありますが、
(シートベルトをしたまま、運転席から後部座席の人を殴れるはずはないのですが、)
私にすれば、父の考えは分かっていて、気にもならなくなっていたように思います。

あと、家を出ようと思った時も、何時だったかは思い出せないのですが、
妻に真剣に相談したことを覚えています。
このような後ろ向きな事は忘れてしまう性格なのですが、
父の毎日の行動や考えについていけなくて本当に悩んでいました。
そして、父を変えることのできない自分は、人間のクズだ、
ダメ男だと思うようになっていました。
妻にも「何で俺みたいなクズと一緒になったんや」と当たるようになり、
本当に最低の男でした。
どうにも耐えられなくなって、妻に家を出ようと思うがついてくるかなんて、
馬鹿な話をしてしまったのでした。
けれど、何とか耐えたのは、一度決心したのは自分なんだから、
自分を裏切るような事をしてしまったら終わりだという事と、
妻と子供を守らなければいけないという事でした。

しかし、こういう経験をしたから今も家族が仲良く暮らせているような気もします。
父はワザとやっていたような気もしますが、妻は違うと申します。

父の思い出を書くのは、今回で終わりにしようと思っていたのですが、
書き足りないことがあるので、次回に続きます。

 
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㈱大進

Author:㈱大進
小麦粉調製品、砂糖調製品などを取り扱っている大進です。
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