会長の思い出58
2015-06-01
1994年5月、私は社長を仰せつかり、社長は会長に就任されたわけですが、会長はその頃から元気になってこられました。
すると、前にも増していろんな事を精力的にされるようになりました。
仕事で走り回るとか、お付き合いをするという事はめっきり減ったので、
何をされていたのかは全部は覚えていないのですが、
まずは英会話だったように思います。
その当時、私は韓国の調製品の販売に注力していましたが、
会長は「なんで韓国ばかりやるんや!もっとアメリカに目を向けなあかんやろ!
その方が会社のイメージも良くなるやろ!」とばかり言っていましたから、
自分がアメリカが好きと言うのもあったでしょうが、
私にアメリカに目を向かせようとした事もあったのではないでしょうか。
会長が何故アメリカが好きだったのか聞いた事は無かったですが、
やはり世界No,1の国、日本にも文化から経済までいろいろと
影響を与えていたのですから、商人として、
これからもっとアメリカと関係していかないといけないという
勘が働いたのだと思います。
何だか私が韓国が好きでやっているような言い方までされるのでした。
確かに、韓国調製品の売れ行きが急激に伸び、
月間70コンテナくらいまで増え、全体の売上も3倍になっていましたから、
勢い韓国の調製品の販売一辺倒になっていました。
そんな関係の深い韓国を好きにならなければと思っていましたし、
NHKのハングル講座も受講しました。
(使う機会があまりなかったのでものにはなりませんでしたが。)
会長は、自分と同じ、何かにのめり込む性格を持った私を危険だと感じ、
他に目を向けさせて頭を冷やさせようとしたのでしょうが。
私は例のごとく韓国の優位性を訴え、現状を説明するしかありませんでした。
会長は、それはお前が力を入れないからだと言っていましたが、
私は理論的に何故そうなるのか説明をしたものです。
実際、それから数年でアメリカ製品はなくなってしまいました。
それくらい韓国の調整品の方が競争力があったのです。
また、アメリカ人はドライでした。儲からなくなったらさっさと止めてしまいました。
私にすれば、そんな事が見えているのに何故アメリカなのかという思いがありました。
しかし、会長はアメリカ人講師を雇って英会話にのめりこんでいました。
いつもアメリカ人の先生を連れていましたので目立ちました。
英会話喫茶にもよく行くようになり、
取引先の方も含め、いろんな方を一緒に行こうと誘っていました。
もちろん私も連れていかれました。
私にアメリカに目を向けさせる意味もあったわけですから。
正直言って私は今はそんな暇はないという思いだったのですが。
どこへ行くのも、何をやる時にも、
イヤホンを耳にさして英会話のカセットを聞いていました。
その頃、元気になっていましたから、ゴルフも少しやるようになっていたのですが、
ゴルフのショットをする時にでもイヤホンをはずしません。
それを見て「会長はすごいなあ。」と言う人もいれば、
「あれはマナーが良くない。」と言う人もおられました。
病気になる前よりも元気になっていましたから、
何かに爆発していなければならなかったのでしょう。
持ち前の商売人は目立たなあかんという感覚も戻っていたのでしょうか。
そんなこんなでいろんなことが相まって、
英会話に対する執念はすごいものがありました。
それが何年続いたでしょうか、忘れてしまいましたが私には大変でした。
会長が元気になられるのであれば私もお相手して
その中からいろいろと教えを受けないといけないのでしょうが、
考えは違いましたし、前にも増して強烈に言われますので、
反発心が増幅してしまったようなところもあったのです。
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