会長の思い出52
2014-12-01
1990年8月、良くも悪くも大進の営業マン史上、最も記憶に残るあのY氏が入社してきました。
ある商社の紹介で出会い、最初はその気はなかったのですが、
商売に対する熱心さに興味を持ち、社長に
「一度うちでやってもらったらどうでしょう。」と相談をし、
我社に入ってもらう事になりました。
彼の出社の日に、私はある大手のパンメーカーの大工場に
トラックで配達に行っていました。
小麦粉調製品を400袋納品するのですが、2階上げの難作業でした。
その納品の最中、朝9時頃、Y氏はそこに飛んできて
トラックの上に乗り込んで手伝い始めたのでした。
そして彼は、出社したら社長から私が配達に行っているから
手伝ってこいと言われたと言うのです。
時間からして、出社してすぐ飛んできたのでしょう。
トラックに乗り込むや否や、8月の暑い日に汗を振り絞って
必死になって粉を担いでくれました。
こんな迫力のある営業マンなんていませんでしたから、
私にしてみれば木下藤吉郎みたいな男だなあと感心させられたのでした。
彼は3ヶ月で月間500万の新規の売上を作るから、
課長の肩書と年収500万円を約束してほしいという条件で入ったのですが、
3ヶ月で本当に売り上げを達成したのです。
しかしその頃、Y氏がお客様と韓国に行く用事が出来て、
私がついて行けなかったものですから、社長に行ってもっらたのです。
すると帰ってくるや否や、社長は
「あいつは信用できん。お前も何時かは飼い犬に手を噛まれる事になるぞ。」
と怒って言うのでした。
私も、社長が何故そんな事を言うのか大体は見当がつきましたので、
何があったのかあえて聞かなかったのです。
社長も彼の実力を認めている節はありましたから、
そんな男でも社長ならうまく使おうとするだろうと思ったのです。
私自身もなんとか彼を少しでもまともな男に変えていって
本物のすごい営業マンにしたいと考えたのです。
彼とは朝早くから夜遅くまで本当によく商売で走りました。
彼ほど私に食らいついてきた人間はありません。
彼が入って1年くらい経った時、
突然、得意先の問屋の専務さんから
「あんたところのY君、うちで雇ってほしい言うて来とるで。
大進で世話なっとんのに何考えとるんや言うて怒ったったわ。」
と、連絡をいただいたのでした。
彼が何故熱心に私に食らいついてくるのかはっきりしたのですが、
こんな事が起こるたびに彼を叱りながら引っ張っていったつもりでした。
少しずつマシになったと思いますが、本質的には変える事は出来ませんでした。
でも、売る事だけはたいしたもので、10年間で月間1億円の新規を開拓してくれました。
それで社長も事あるごとに文句は言っても、辞めさせる事はなかったのです。
私に絶えず注意を促していたのでしょう。
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