会長の思い出44
2014-04-01
1987年に入り、パン屋さんで小麦粉調製品なるものを使われる所が出てこられました。それまで聞いた事のないような貿易会社から米国のものが入っていました。
弊社のお客様でも使い始められる所が出てきましたので、
対抗するために小麦粉調製品を仕入れる企業を探しました。
そして大阪市内の本町に総勢5名の小さな貿易会社が
カナダの製粉会社から輸入しようとしているのを発見したのでした。
早速その会社を訪問したのですが、
社長さんから強力粉84%・砂糖13%・脱脂粉乳3%の配合が
パン用に合うという事を教えてもらい
お客様に案内したところ、ぴったりと合っていたのでした。
それから、強力粉が85%未満しか入れられないので、この配合が良いという事ですとか、
パンの種類によって強力粉を足したり、食パンですと中種を日本の強力粉で作り、
本捏ねで調製品を加えて、日本の強力粉2に対して調製品1の割合で作ると言った事を
パン屋さんから教えていただきました。
この調製品を他社のものより安価で販売することができましたので、
弊社で全部取り戻せたのでした。
月間の販売量が2コンテナー(25kg袋で千数百袋)になったと記憶していますが、
その当時は粉の問屋が製粉会社との関係もありますから、
小麦粉調製品を積極的に売りまわるというのは、はばかられるような感じがありました。
しかしある日、大阪小麦粉卸組合の会合の席で、その当時の理事長の方から
「粉の問屋は製粉メーカーとの関係があるので小麦粉調製品の扱いはしない方がいい。」
とのお話があったのですが、
その直後から、その会社が北米の小麦粉調製品の販売を始め
うちの得意先にも入ってきたのでした。
でもなんとなく
「そんな事もあるだろう。その会社がしたたかですごい。」
みたいな問屋の間の雰囲気で、
社長も「あの会社やったらそれくらいの事やるわ。こっちもやったらええねん。」
と言いますし、何でもありかと思ったのですが、
弊社も問題の起らない程度に少しずつ販売していく事にしたのでした。
そしてその時は突然やってくるのでした。
社長は大阪パン組合様と古くから親しくお付き合いさせていただいていたのですが、
「パン組合さんがカナダのCSP社の小麦粉調製品を売る事になって
うちが扱う事になったから、すぐに理事長のとこに行って来い。」と言うのでした。
私も、その方の事はよく存じていましたから、すぐにお伺いをしてお話を聞きますと、
その方がパン屋さんに斡旋して在庫もするので
その後のフォローをしてくれと言うものでした。
大進の手数料、マージンは決められていて、
副理事長が在庫されているものを引き取りにいって配達するので、
そんなに儲かる仕事ではなかったのですが、売り先は増えていきました。
それまで取引きの無かったパン組合員様への納入が増えていき、
大阪のパン組合員様以外の組合員様にも広がっていきました。
大阪府下の配達は運送会社の方と手分けして行っていたのですが、
岐阜や愛知など新しい他県には私が配達しなくてはいけなくなりました。
週に2回は遠方への配達があり、
その日は朝4時くらいから出て夕方近くまで帰ってこれなくなり
売れれば売れるほど配達の仕事も増えていきました。
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