会長の思い出43
2014-03-01
1987年1月、毎年1月に会社のグループ全体の新年会をミナミの網元で行っていましたので、この年も開催されました。
粉屋の大進、運送会社の大急、レストランとショップのバンブー、
麻雀荘など、約130名全員が集まりました。
最初に社長が挨拶をされるのですが、
その前の年まで必ず言っていた話がこの年はなかったのです。
それは、前にも書いた松下幸之助さんと幼い頃ケンカしたという話です。
「いつか松下幸之助を追い越して見返してやるんや。
そして15歳の時、俺の方が正しかったんやと認めてもらうんや。」
と言う事を、長い挨拶の中に必ず入れておられたのですが、
この年から一切この話はしなくなりました。
本当にそう思っていたのかも私には理解できなかったのですが、
もう諦めたと言うよりも、考え方、生き方が
変わったのではなかろうかと思われるのです。
15歳の時の思いを励みにと申しますか、
悔しさや負けず嫌いの性分で生き抜いてきたと思うのですが、
それは自分だけの事、自分だけの世界の問題なわけで、
上手くは言えないのですが、
私が本業の大進をやるようになり、結婚もして子供も出来て、
弟もバンブーをやっていましたから、
思いが子供達の方に向くようになったのではないかと言う気がするのです。
その頃から、自分が先を走って何でもやるというよりも、
私たちにやらせるようになりました。
ですから、私や妻によく話すようになりました。
もちろん一方的に自分の言いたいことを喋りまくり、
カッカと燃えてくると怒っているような感じで
突然意見を求めてきて、自分の考えと違うと本当に怒り出したりと
とにかく介入してくるのでした。
しかし、明らかにこの頃から父は変わったのでした。
正月の話は終わりにして、
この当時、特質すべき事は小麦粉調製品が出回り始めたことでしょう。
ある日突然、我々のお客様のパン屋さんにこの小麦粉調製品が入り、
売上が下がったりしたのです。
多くは、それまで聞いたことのない貿易屋さんから入っていました。
この動きに対抗するため、この小麦粉調製品なるものを
我々の方でも扱えるようにしなければならないと考えたのでした。
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