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会長の思い出40

 2013-12-02
1986年5月、朝5時から4トントラックで配達に出て、昼過ぎまでは主に配達、
昼からトラックに乗ったまま営業をし、夕方7時頃会社に帰って配車係と一緒に配車をして
荷物(小麦粉―1袋が25㎏)を積み込む(夜に積むので宵積みと言いました)といった
仕事の内容になっていました。
仕事が終わるのが22時頃になりましたから、夜、店に出れなくなってしまいました。
日曜、祝日も配送の仕事が有りましたので、全く店に出られなくなってしまい、
結果的に店とは全く関係なくなってしまったのです。

その当時の配達というのは、今から考えるとむちゃくちゃで、
積載量の2倍以上積むのは当たり前、というよりも
それだけ積むことで儲けるという感覚でした。
その頃は、まだ運転手にプロ根性というのが残っていて、
どれだけ多く積んで、どれだけ早く走るか、
粉袋を一度に何袋担げるかなどを競っているようなところがありました。
ベテランの運転手は一度に3袋から4袋、60歳くらいの人でも3袋は担ぎ上げていましたから、
粉屋の息子のとしては負けていられないので、私も必死に3袋担ぎ上げていました。
1日に400袋は担いでいました。

そして、大進の仕事は週に2~3回夜の飲み会の付き合いがありましたので、
付き合いのある日は早めに宵積みをして、トラックに乗ったまま8時ごろに食事か、
食事抜きで飲み会から参加したりしていました。
場所は大阪一番の繁華街のミナミが多かったですが、
トラックを置きに帰っていると時間が無くなるので、
大阪のメインストリートの御堂筋にトラックを止めたまま食事の場所に走っていったり
をよくやっていました。
当時の大阪は違法駐車が酷かったのですが、そんな車が多かったので
あまり駐車違反にもならなかったのです。
朝まで付き合いをしてそのまま寝ずに配達に出たこともありました。

また、過積載をして走っていて、横をパトカーが走り去っても、
止められたことは一度もありませんでした。
粉屋だけでなく、多くのトラックが過積載をしていたからなのか、
それが当たり前でした。
今、中国の事を酷いとか言いますが、その当時の大阪のマナーはあまり変わらなかったように思われるのです。

その5月は、妻の出産予定の月になっていましたが、
父(社長)は「子供が生まれるその日まで働いた方がお産のためにはええんや。
その方が母親も子供も丈夫に育つんや。お母ちゃんもそうやったし、商売人は皆そうするんや。」
というのが口癖でした。
しかしその事について妻は別に何も思っていなかったようで、
父はそんな人なんだというのもあったようなのですが、
商売人の子ですから、商売人はそんなもんだとも思っていたようです。

ですから、5月9日に定期検診に行って
「今日は生まれそうだから、入院する準備をしてください。」と言われて
昼から入院しますと、翌朝、何の問題もなく長女が生まれたのでした。
昔からよく言われるように、生まれる寸前まで働いて、体を動かしている方が
お産はスムーズだというのは本当のように思えました。
しかし、私は仕事が忙しかったものですから、赤ちゃんの顔をずっと見れず、
夜の9時か10時頃に妻の顔を見に行けましたが、数日経った日曜日の夕方に
やっと赤ちゃんの顔が見られたのでした。
また、妻も出産してから2ヶ月くらい休んで会社に出ましたから、
今のように何カ月も休むことはなかったのです。

私のように年中無休でこんな生活をしていた人は少なかったと思いますが、
バブル時代くらいまではこんなかんじで、何かに向かってみんなが走っているようでした。

私も30代でしたからこんな事が出来たんだと思いますが
今もう一度やれと言われたら絶対できないと思います。
 
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Author:㈱大進
小麦粉調製品、砂糖調製品などを取り扱っている大進です。
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