会長の思い出37
2013-08-31
1985年6月、彼女が結婚を承知してくれた事を父に伝えると、やはり早速父が動き出します。
父「さあ、相手の家へあいさつに行かなあかん。明日行くぞ。」
私「ちょっと待ってよ。相手の都合もあるし、何日がいいか聞いてみるわ。」
父「何日がええかと違って、明日行くから言うて、
あかんかったら次の日を聞いたらええやろ。」
と、父はいつもの調子で、火が付いたら大変で、
こらえらい事になるわ、と怖くなるのでした。
というのも、私も仕事ばかりしてきて、友達付き合いもしてこなかったので、
こういう時どうしたら良いのか、父は無手勝流でやるのはわかっていましたから、
商売だといろいろ発想は湧いてきますが、
私生活の事になるとどうしていいのかわからない状況でした。
しかし、「一楽さんの所に、結婚を申し入れるのは自分で行くから。」
と言ったことは覚えています。
いくら何でもこんな話をするのに父親が行くのはおかしいですから。
でも、父と言う人は、何でもその先に地獄のような問題が待っていようとも
自分でやらなければ済まないのですから、世間様がどうのこうのよりも、
正しい、やらなければならない、と思ったら絶対に実行する人でした。
そして、一楽さんのお宅にお伺いし、
彼女のお父さんに結婚のことを告げますと、快くお受けいただけました。
すると後日、森川支配人が「社長(父)の代理できました。
ジューンブライドをさせたいので、今月中に結婚した方がいい」
と一楽さんに告げに行ったそうです。
騒然、一楽さんは「準備の時間もあるので、時間がなさすぎる。」
と言う意味のことを言われたのだと思います。
森川支配人は「すぐにでも結婚するのですから、先に一緒に住んではどうですか。」
と、話したそうです。
これは、]逃げられたら困るとかいう事は全く考えなかったと思いますが、
一度決めたら夢が膨らんでいって、早く決めずにはいられない性分の表れなのです。
ところが、これからが常識で考えるとむちゃくちゃな所でしょう。
父は私と彼女を連れ出して、先に新婚旅行に行ったらどうやと、
旅行会社に向かったのです。
「全く休み無しで9年間働いて来たので、そんな旅行なんか行く暇ないわ。」
と私が言いますと、
「その間俺が見といてやるがな。」と言って、
何を放っておいても結婚がまずありきモードなのです。
旅行会社に着くと、ハワイ旅行とハワイでの挙式が
セットになっているパックがあったのです。
父はそれを見るなり、「これがええわ。6日間がええか、7日間がええか。」
と言いますので、「1週間も無理やわ」と私が申しますと、
「そやったら6日間にしといて。」と、その場で申しこんでしまったのです。
結局、6月の終わりに、ハワイで結婚式を挙げ、
7月の終わり、めっちゃ暑い中披露宴をしたのです。
この時の事を妻に聞くと、一楽さんのお父さんが父に
「あかんかったら帰ってきたらええんや、と娘には言っています。」
と言われたそうです。
後年、一楽さんは「自分は田舎を出る時、父親から、
”あかんかったら帰ってきたらええや”と言われて
何があっても絶対に帰るもんか、と頑張ったんや。」と、おっしゃっておられました。
それを父はまともに受け取ってしまい、怒っていました。
「一楽はなんと失礼な人や。あんな親はあかん。」と、私と妻に言うのです。
何でも急いでする弊害なのか、それでもそんなのお構いなしで
父にとっては結果が良ければいいのです。
でも、長い目で振り返ると、むちゃくちゃでも、
この時の父の行動には心から感謝しています。
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会長の思い出36
2013-08-01
1985年6月、遂に彼女にプロポーズする事を決心したのです。 仕事の方はどん底で、お金もありませんでしたが、
何とかしなければいけないという思いは強く持っていましたので、
失敗するという事は考えていませんでした。
私は、たとえその時どん底でも、何とかしなければいけないと考えると、
次々とアイデアが湧いてきて、どこまでも広がっていって、
絶対に上手くいくと思い込んでしまう方なので、
失敗するなんて事は考えないタイプでした。
これを所謂、ポジティブと言うのでしょうか。
年を重ねてからこの弊害を感じるようになりますが、
こういう性格で良かったように思います。
商売をやっていく上で挑戦は必要ですが、
新しい事に取り組むと、 現実は失敗や問題発生の連続で
その結果いろんな批判や中傷を浴びます。
ですが、こういう性格だと、そういう雑音が耳に入らず、
挫折感を持っても一瞬で次の夢や目標に向かっていけるので
助かったように思えるのです。
しかし、この時の状況は、どん底には間違いないので、
「君を必ず幸せにします。」なんていい加減なことも言えないし、
この状況をどうやって乗り越えていくか、夢みたいな話はしていましたから、
(後年、妻は「いつも夢を語ってくれるので面白い人だと思っていた。」
と言ってくれたので、これが効いていたのかもしれません。)
とにかく、「一緒になってほしい。」と言うしかないのかなと考えていました。
それからプロポーズをする腹を決め、実行する日がやってきました。
その日は、夜、早くに店を出させてもらって、彼女を迎えに行って食事に誘いました。
そして、いざ告白をしようと思ったのですが・・・私は本当に馬鹿だ!
「いっしょになってほしい。」と言うつもりが、
「こんな俺でいいのか。」と言ってしまったのです。
彼女は困った様子で、いいですとも言えないわけですから、
か細い声で「はい。」とだけ言ったのを今でも覚えています。
自分で自分の事が恥ずかしくなったのですが、
その時、彼女に苦労をさせるかもわからないけど、
何があっても、この人の前だけは隠し事をしないで
正直に生きようと心に決めたのでした。
この決心を破る事は自分を裏切る事になると思えたのです。
翌日、父にこの事を報告したのですが、また大変な騒ぎになってしまいます。