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会長の思い出26

 2012-10-01
1984年、なんとかスランプから脱出しようともがいていたのですが、
気持ちと裏腹にいい考えは浮かびませんし、
空回りしているなとはわかってもどうにもなりませんでした。

20歳の時、店をしていた時に、近い将来、健康スポーツ事業を興し、
30歳までに年商10億円の企業に育て上げようと夢を持ったのですが、
もう28歳になっても3年連続年商2億円で行き詰っていました。

事業拡大のために、カタログ訪問販売の組織化や、100均屋の展開、
スポーツブランドの立ち上げ、健康食品の販売組織作りなどいろいろ行いましたが、
社長を納得させる事は出来ず、反対され続けました。
私が最初にしていたギフト用品にだけ力を入れていたのです。

でも、その当時は、私のすることが納得されず、反対されるのは、
私に力が無いからだと思い続けていました。
私の考えが正しく、社長が反対する事も出来ないくらいの結果を出せば、
社長も納得せざるを得ないはずですから。

外に売りに行くなという制限をされていましたが、
いくら立地が悪くても遠方からでもお客様を呼ぶくらいの
魅力のある商売をすれば成功するはずだという社長の考えを
私もそうだと考えていましたから、いろいろな制限は仕方がないと思っていました。
考えが合わず、反発するくらいなら、出て行って自分の好きなようにすればいいわけですから、
それをする勇気も力も無いのであれば、結果を出すしかないと思っていました。

8年経っても全く夢に近づかないどころか、
スランプに落ち込んで乗り越えることもできない自分を
ダメな男だと考えるようになりました。

そんな状況の中、突然その時はやってきたのです。

1984年5月、社長から、
「大進がえらい事や、銀行が融資出来へん言うて来たから、すぐに金作らなあかん。
得意先回って、先に回収させてもらわんとあかんから、今日から大進やれ。」
と言われたのです。
これで、大進の仕事をする事になったのでした。
父は昔から、行き詰ったり、迷った時は、ガラッと展開を変えたり、
全然違うことをしだす事がよくありました。
この時も私を違う道へ導くチャンスだと考えたような気がします。

という話を、今日妻に話すと、父が妻のお母さんにそんな話をしていたと言うのです。
父は私の事を考えているというような事をいちいち説明するような人ではありませんでした。
新しい道に進むことになりますが、また試練が待ち受けているのでした。
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小麦粉調製品、砂糖調製品などを取り扱っている大進です。
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