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会長の思い出25

 2012-09-01
1981年の夏頃、私は健康・スポーツ事業を立ち上げて
成功したいという思いが強くなっていました。
ギフトショップやレストランよりも、
ゴルフショップの方に力を注いでしまうようになっていました。

・ゴルフ用品の取扱メーカーも、
ダンロップやマルマンだけでなく、美津濃、ブリジストン、
ホンマ、スポルディング、パワービルト、
ベンホーガン、アシックス、フットジョイなど、
ウェアーはパリス、マンシング、ライカ、
アーノルドパーマー、レイクランド、
ライル&スコットなどと増やしていきました。

・「エキスパートクラブ」というオリジナルブランドを立ち上げ、
ウッドクラブからキャディバッグ、ヘッドカバー、
ネームプレート、キーホルダーなどの小物まで制作しました。
ウッドクラブは「樹脂含浸ヘッド」と言って、
ヘッドのパーシモン部に樹脂を浸透させた画期的なものでした。
こうする事により、ヘッドの反発が強くなり、飛距離が伸び、
打球感も良くなるというのが売りでした。
アシスタントプロやゴルフ部の学生、
シングルプレイヤーなど腕の立つ方に販売していただいたり、
他のゴルフショップやスポーツジムでもおいてもらいました。

・ゴルフ用品だけでなく、その当時大流行していたテニスの用品や
トレーニング器具、スポーツドリンク、そして健康食品に至るまで手を広げていました。

すると社長は
「ギフトショップやレストランの方は俺と森川君でやるから、
お前はゴルフショップの方に専念したらええ。」
と言い出したのです。

つまり、ギフトショップやレストランの方には口が出せなくなり、
ゴルフショップというか、健康・スポーツ事業の方で
結果を出すしかなくなったのでした。
私もとにかく成功させようというモードになりました。

しかし、当然任されたわけでもなく、
社長はゴルフショップの仕入れや陳列や売り方などにも強く関わってきて
森川さんにもそれをさせるようになりましたので、
私の考えとはかなり違うようになっていきました。
ゴルフ用品は値が張ることもあり、仕入れを抑えるような形にもなりました。
メーカーからはノルマもありましたので、非常にやりにくくもなりました。
外に売りに行く事は禁じられていましたので、
とにかくお客様に来ていただく用にするしかなくなりました。

早朝、ゴルフ練習場を回ってお客様を捉まえたり、
アシスタントプロや学生に協力してもらったりしたのですが、
限界があったのです。
そして私の行動は逐一森川さんから社長に報告されていました。

健康食品のような年よりくさいものは止めろとか突然言いますし、
仕入れや陳列の考え方も違います。
陳列の器具も鉄工所に行って自分で作ってきて、
「この方が安くてええもんができるやろ。」
と言って夜中の間に陳列を全部変えてしまったり、
確かに安いけど良くはないやろと思っても
それを言うと延々と持論を展開して興奮してエスカレートしますから、
とにかく結果を出せば納得するだろうと、
売りまくる方に徹しました。

しかし、ついにレストランやギフトショップの方の売り上げは落ちだし、
すると社長は、同じ屋根の下にいて何で
ゴルフショップ以外の事もやってやれへんのやと怒り出します。
社長が言ったから何て言おうものなら屁理屈言うなと返ってくるのはわかっていますから、
とにかく結果を出して納得させようという所に戻ってしまいます。

でも、ゴルフショップの方もあまり伸びなくなり、
ギフトの落ち込みと相殺されるような形で
ショップ自体の売り上げは伸びなくなってしまいました。

社長はいつもイライラして怒りまくっていますし、
だんだんすれ違うようになっていき、私自身もスランプに落ち込むようになってしまいます。
私は根が前向きなので、それでも何とかしようとするのですが、
それまでいろいろ湧いていたアイディアも
だんだん出なくなり、行き詰ってしまいます。

この頃から、何故か社長も何をやってもうまくいかなくなってしまったような気がします。
この状態が約3年間続いていました。
 
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小麦粉調製品、砂糖調製品などを取り扱っている大進です。
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