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会長の思い出7

 2011-01-01
明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

今年は幕張で開催されます、モバックショーに出展いたします。
新開発いたします超安価なプレミックス、耐久性に優れたナノコーティング天板、
ベーカリーで人気のミラクルストローシッパーなど、今までに無かった物、今までに無かった事を
ご提供させていただく所存ですので是非お立ち寄り下さい。


会長の思い出と言う事で毎回書いて参りましたが、今回で最後にしようと思っておりました。
しかし、書いている内に会長のことがいろいろ思い出され、
また、読んでくださる方からも
「あんたのお父さん面白いから、いろいろ書いてや。」
と言われたりもしますし、特に私の子供たちからはすごく面白いと言われますので
もうしばらく思い出しながら書いていこうと思います。


昭和39年、西淀川区に移ってからトラックの駐車場と整備工場を作る予定だったようですが、
整備工場をしない事になったので、変わりにレストランをする事になったのでした。
駐車場が広かったので、その当時はあまりなかったドライブインレストランを始めたのです。
商売は目立たなければならない、そのためには人と違う事をしないといけない、
と父は考えていましたので、その当時大阪にはなかったドライブインにしました。
メニューも最初は洋食だけでしたが、中華や和食も始めて万国料理と謳ったり、
ジュークボックスを改造してカラオケ(その当時はカラオケと言う言葉はまだ無かった。)
のステージを作ったりと、ユニークな店になっていました。
本当によく流行っていたのですが、気性の激しいというか、
気の荒い人が多い地域でしたのでなかなか大変でした。

店のオープン当初、やくざ屋さんがショバ代を払えと言ってきたそうですが、
父はやくざとの付き合いが嫌いと言うより、そんな法律にもないことを
何故しなければいけないのかと思ったようで、絶対に払わなかったのです。
すると、朝来てみると店のガラスが割られていたのでした。
それでも言う事を聞かなかったら、店のガラスを全部割られていたそうです。
その都度、西淀警察の方にその事を話しに言っていると、嫌がらせが止まったと言う事でした。
父はよく、やくざと普通に話をするのはいいが、絶対に屈してはいけないと言っていました。

昭和46年、私が15歳になった時、
父は「お前の年頃にはもう自分で商売をやって稼いでいた。」
と再三言うようになっていたので、私も店を手伝う事になったのです。
ホールのウェイターをやっていたのですが、
2日に1回ぐらい店内でどつきあいの喧嘩が起こるのです。
私も身長が180cmありましたので、毎回止めに入る役になってしまいました。
お客様の中にはやくざ風の人が多くいました。

先日も言いましたように、西淀川の店のある場所は大阪府と兵庫県の境で、いわゆる場末でした。
具体的に書くといろいろ問題があろうかと思いますので書きにくいのですが、
とにかく、その当時は気性の荒い人が多かったのです。
近くの学校はやくざの予備校と言われていまして(今は全然違う。)
卒業すると3分の2がやくざになると言われていました。
店の周りには組事務所が5ヵ所もあり(今は無い。)、しょっちゅう抗争をくり返していました。
また土建屋さんがやたら多く、この人達もやくざなのかどうなのかわからない感じでした。
そういう中で店をやっていましたので、「暴力団お断り」なんてすると
お客様が半分以下になってしまいそうな状況でした。
しかも、レストランの他に16卓もあるマージャン屋、ビリヤード、ゲームセンター、カラオケなども
していましたので、そういう気の荒い人が溜まり場にしそうな場所になっていたのです。
父はやくざ的なものは大嫌いでしたが、そのような人達とも
分け隔てなく接して遊ばせてやっていたので、やくざでもないのに親爺と言って慕われていました。

しかし、昭和50年にショッピングセンターを作り、
大学生だった私がそこの責任者になる事になってからが私の大変な時代でした。
 
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Author:㈱大進
小麦粉調製品、砂糖調製品などを取り扱っている大進です。
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