人生最悪の時
2010-02-01
2003年、2004年は、私にとって最悪の時期でした。 3社の大口得意先との取引が無くなってしまい、年間20億もの売り上げが飛んでしまいました。
その影響で大きく赤字に陥っていたところに、その内の1社が倒産してしまい、
3億円の焦げ付きが発生してしまったのです。
結果、2億円の務超過になり、金融機関からの追加融資が受けられなくなってしまったのです。
2002年の業績に戻るのに5年もかかってしまったのですが、
昨年に債務超過も無事解消し、元に戻すことが出来ました。
しかし、倒産した㈱グルメ東京には大変な目にあいました。
1999年、当時一番の得意先の社長から、
㈱グルメ東京という会社を助けてやりたいので協力してやってくれ
と言われたのが始まりでした。
この会社は焼きそばを作っていたので、
「小麦粉を安く売ってやってくれ」
「設備に資金が要るので融資してやってくれ」
と言われたのでした。
その社長は元大手商社の方で、商売熱心で真面目な方だと思っていたので信用していました。
グルメ東京をデータバンクで調べると評価が53点でしたし、
大手2社の食品会社の仕事を365日フル生産していて、とても忙しそうでしたので、協力することにしました。
また、リスク回避の為と言ってグルメ東京の売先の大手食品会社の帳合に入れてもらう事になりました。
これが結果的に逃げられなくする為のものだとは思いませんでした。
しかし、このグルメ東京は2002年ごろからクレームなどで得意先が飛び始め、
資金繰りががおかししくなり、支払いが滞るようになっていました。
小麦粉以外の使用材料殆どがグルメ東京に納入されるようになっていたので、
1ヶ月の納入金額が5000万円位に、売掛残が1億円以上、貸付も1億円近くになっていました。
2003年、いろいろ調べると決算書は偽装だったという事がわかりました。
グルメ東京の出す資料は殆どウソで、これは手を引かなければいけないと考えるようになったのです。
それ迄、グルメ東京を救うためにグルメ東京の製品を売らなければならないと、
月間6000万円を売っていましたので、その供給義務が有る為になかなか手を引けませんでした。
そこで、代わりに焼きそばを製造してくれる所を社員一丸となって探したのですが、
なかなか見つからずに1年の月日が流れてしまい、その間に負債が3億円に迄膨らんでしまったのです。
最後は見るからに暴力団関係者とおぼしき人達が出てきたのですが、
民事再生を申し立てるに至り、それも通らずにグルメ東京は倒産してしまいました。
2001年から2005年迄、このような事に振り回されていましたので、CJ社の拡販が出来ず、
販売量が半分以下に激減していました。
いくら世話になっている人でも信用は出来ないという事ですが、
まるで映画かドラマに出てくるような事態を実体験してしまったのでした。
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