2代目駐在員 金 沢さん partⅡ
2008-11-01
金 沢(キム・テック)さんと出会った事で、小麦粉調製品の拡販に力を注ごうと考えるようになったのですが、日本の製粉メーカーや商社の圧力に対しては、
大進の市場を護るためという事で理解を得られるだろうと考えていました。
その当時、大手商社はダミー会社を作って隠れて販売していましたし、
大阪の大手問屋が小麦粉調製品を積極的に販売していて、大進の得意先にもどんどん入ってきていました。
結構な量が出回り始めていたのです。
しかし、小麦粉調製品を拡販するのに2つの大きな問題がありました。
1つは、バブルの時代で人手不足だった為に、新規ユーザーができると自分で配達しなければならなかった事。
この問題は、1991年まではトラックに10大積んで朝4時から夜6時まで、
東は名古屋、岐阜、そして関西1園、西は岡山まで配達しながらやりくりしました。
もう1つの問題は、韓国に対する反感を持った人が多かった事でした。
製パンメーカーの経営者には昭和の初め頃に生まれた方が多く、
生理的に韓国を受け入れられない方も多かったので、その大半の方が北米の小麦粉調製品を使っていたのです。
このイメージを変えていってくれたのが金 沢さんだったのです。
配達の合間を縫って、金さんと同行販売を根気よく続けたのですが、
金さんの人柄の良さと賢明さに多くの人々の信頼を得ることができました。
こうして、CJの小麦粉調製品の拡販が進みだしました。
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